埼玉県飯能市の葬儀は、人間関係がなにかと大変

10年前、育ての親である祖母が93歳で亡くなりました。認知症で介護施設に入居していましたが、風邪が元で肺炎に罹り、帰らぬ人となったのです。

 

当時の私は、都内でバリバリに働いていましたが、急きょ、埼玉の実家へ葬儀の手伝いで戻りました。実は、私と母には身寄りと呼べるものはほとんどありませんでした。母は一人っ子ですし、父は、私が小学1年のとき病死したのですが、父方の親族からは父の葬儀後、絶縁されました。(条件の悪いところに婿に出してやったのに、早死させられたというのが父の実家からのクレームでした)ですから、父方の親類は皆無です。

 

祖母の葬儀には、遠縁が集まりました。祖母の兄弟(その時点で全員死亡)の子孫ですから、母から見ればいとこ(もしくは、いとこの配偶者)ですが、元々、母を毛嫌いして交流が無かったため、「なんで呼び出された分からない」とハッキリと言われました。

 

また、なるべく葬儀での支出をケチりたい遠縁たちは、葬儀の花を1つだけ注文したのですが、注文書をよく見なかったのか、一基と一対を間違って〇をつけてしまったのです。葬儀社から二倍の料金を請求されたことで激怒した1人が「○○がやったことだ、知らん」と私の母のせいにして、それが呼び水になったのか「(親戚つきあい)は、はぁよすべーや」と言われました。結局、花代は「親戚一同」として、母が負担しました。

 

実は、母は発達障害とLDがあり、冠婚葬祭のような社会的儀礼はできない人なのです。村に冠婚葬祭時の独特のルールがあるらしいのですが、それを母は理解していなかたことが後から分かりました。

 

ですから、祖母の死亡が確定後、私が自転車で10キロ先の役所に死亡診断書を出しに行ったり、焼き場へ連絡等全部1人でやったのですが、それがご近所の男性の逆鱗に触れ(私の住む地域には男尊女卑がいまだに存在します)、「東京に出てる娘が勝手やった、村八分だ」と怒鳴られました。

 

葬儀社も稀に見る「荒れた葬儀」といったくらいです。唯一、葬儀社の方だけは味方になってくれ有難かったです。しかし、頼り過ぎたせいか、費用だけをいえば300万以上かかりました。ちなみに、葬儀社は祖母の入院していた介護施設からの紹介です。

 

振り返ってみて反省する点は、葬儀という予め予期できたイベントに対しての知識も準備を持ち合わせていたなったことです。

 

母は何もできないと知っていながら「どうにかなるだろう」と根拠のない楽観をしていたのは痛恨のミスでした。すでに飯能では「昔はあったはずの農村地帯のコミュニティ」が崩壊しているので、こういう時代だからこそ、地縁でも血縁でもなく、お金を払った分、適切なサービスを提供してくれるプロの葬儀社との信頼関係を築くことがなによりだと感じます。