名古屋で香典箱を体をはって守り、残された幼子を泣き止ませた

数年前のことになりますが、兄弟が名古屋で急逝したため、長野から葬儀に駆けつけたことがありました。

 

葬儀の段取りは、兄弟の嫁様方の御親族と兄弟が働いていた会社の方々の手によって、すでにつけられていて、こちら側はそれに乗らせていただく形になりました。
そうはいっても、名古屋についてからは葬儀会場との交渉はこちら側に任さされることになり、金銭の管理も担当することになりました。

 

到着当日に通夜、翌日に葬儀・火葬という流れでしたが、遠方から大勢の親族にご参列いただくことができましたので、通夜の後、そのまま葬儀会場の仮眠室で雑魚寝をして泊まっていただくような形になってしまいました。

 

会場代を、通夜のときに集まった香典から支払うことになったのですが、翌早朝の支払いとのこと、金融機関に預ける暇もなく、夜通し私が香典箱を体をはって守ることとなりました。

 

とはいっても、双方の親戚の皆様が大勢雑魚寝しておられる仮眠室で眠るわけにもいかず、どうしようか途方にくれていたのですが、結局は母と兄弟の思い出話をして、眠らずに起きていることになってしまいました。母は、朝方にホールのソファで仮眠しましたが。

 

さて、兄弟にはまだ保育園に通っている幼い子がいたのですが、父親を失ったことをまだよく理解できていなかったとしても、仮眠室で何かただ事ではない雰囲気を敏感に感じ取ったのでしょう。

 

深夜に大声で泣き出し、まったく泣き止まないという事件が起こりました。

 

不思議とその子はオジである私になついていたので、何と私がその子をあやす係りまでおおせつかることになったのです。
母親、つまり兄弟の嫁様は、さすがに憔悴の色が濃く、どうせ起きていたわけですから別にかまわないのですが。

 

自分の子供をあやした時の要領を思い出しながら、確かモグラの巣の話とか、ミミズが進む進み方とか、昆虫の足の動かし方とか、その子が好きそうな話をゆっくり聞かせることにしました。

 

幸いなことにそれで泣き止み、心が落ち着いたのか、また寝てくれました。

 

葬儀とは直接関係ないのですが、仕事を長く休めなかったので私だけ早めに帰ることになったのですが、その帰路、ドラゴンズファンがあふれかえる駅で、まったく進めずに最終電車に乗れなくなるという事態まで発生しました。

 

今では悲しみがこみ上げてくることはなくなりましたが、それでも若死にした無念さを思うと、何ともやるせない思いは残っています。